代表の吉川です。
この時期になると菓一條栄久堂吉宗 夙川工房の庭にメジロや鶯が飛んできます。
夙川は、町中でもあちこちに野鳥が飛んでいる自然が豊かな町です。
先日、工房庭に飛んで来たこの野鳥の名前は?
そう!メジロです。
では、この野鳥の名前は?
答えは、ウグイスです。
毎年この時期、同じようなネタを書いている私ですが野鳥写真が趣味なのでお許しください。
では、昔から和菓子職人の中で伝授されてきた布巾絞りのこの上生菓子の名前は?
...鶯なんです。
メジロと鶯の写真を見て何か変だぞ!と思われた方、その通りです。
日本人のほとんどが鶯は、緑色だと思っているのは、和菓子や花札のせいかもしれません。
しかし、古い掛け軸にも梅と一緒に書かれていますが題名には、目白の文字は無く鶯なんです。
私の知る限り鶯は、梅の木にあまり止まりませんがメジロは、よく梅の木に止まります。
それは、メジロが梅の花の蜜を餌として吸うからですが鶯は、梅の花の蜜を吸いません。
野鳥ネタになると長くなる私なのでこの辺にて和菓子に戻ります。(^_^;)
さて和菓子の鶯がなぜ緑色なのか?
私の推測ですが、和菓子職人の中で長年勘違いが伝授されているかもしれません。
上生菓子の鶯は、江戸時代無かったと思いますが鶯餅は、存在しておりました。
鶯餅の始まりは、天正十三年(1585年)に豊臣秀吉を招いた茶会で豊臣秀長が菊屋治兵衛に命じて献上したのが粒餡を餅で包み黄粉をまぶした主菓子です。
豊臣秀吉が大いに気に入られて『鶯餅』と名付けたとの事です。
ここで和菓子職人として気になるのがきな粉の色です。
炒った大豆なら皆さんご存じの黄色っぽいきな粉になるのですが青大豆なら青きな粉(緑色のきな粉)になります。
2016年のウエザーニュース調べでは、東北から北は、青きな粉の流通が多いですが関西では、少ないです。
しかし1585年ならどうでしょうか?現代より青きな粉の割合が多いと思われます。
もし菊屋治兵衛が作った鶯餅に青きな粉を使用していたのなら豊臣秀吉がメジロを鶯と思い込んでいた可能性も有るのでは?
豊臣秀吉が『鶯餅』と名付けたのに『殿、鶯は、緑色では、ございません!』とは、言えませんよね~。
そして今でも鶯餅は、青大豆の青きな粉が続いているのかもしれません。
あくまでも私個人の推測です。
上生菓子 鶯(うぐいす) 上用練り切り・こし餡
朝生菓子 うぐいす餅 求肥・こし餡・抹茶きな粉
関西では、あまり好まれない青きな粉ですので菓一條は、きな粉に抹茶を混ぜて作っております。
菓一條 栄久堂吉宗
住所:兵庫県西宮市羽衣町7-26ミズキアルペジオ夙川ビル1F(阪急夙川駅徒歩1分)
電話:0798-36-5431
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